戯言日記

日常についての備忘録

INTPはINFPになり得るか 〜性格タイプは後天的に変化する、その可能性③〜

前回、実際の私の経験を踏まえて人がその人生の中でINFPとENFPの間で行き来するという現象を考えてみた。今回はINTPとINFPとの間で性格の変化があり得るのかという観点から迫ってみたい。

 

以前、私は医療機関自閉症と診断されたことのあるINTPと思しき若者に接したことがあった。彼はその診断を受けた前後の期間において鬱症状を呈しており、認知機能の顕著な低下が確認されていた。その認知機能の低下は具体的には思考力や記憶力の低下として現れていて、本人は強烈な不安感や恐怖感を感じている様に思われた。そのため、彼の性格パターンは鬱症状になる以前の彼とは異なる様相を呈していた。その性格パターンとは詰まるところINFPのそれであった。より正確に言うならばINTPからINFPになろうとしているが、INFPになりきれていないという印象のものだった。それまで他人の感情を読むことをあまりしてこなかった彼は、対人恐怖から周囲の人間の感情を読んでそのストレスに適応しようと懸命に脳を働かせていたように見られた。しかし、その後鬱症状の治療が進むにつれて彼の不安感、恐怖感とINFPとして生きようとする傾向はなりを潜めていって、代わりに思考力が回復して彼本来のINTPとしての特徴が戻ってきた。そして、INTPとINFPのそれぞれの時期において彼の興味、関心、感情、行動といった性格パターンに関するあらゆることがガラリと変わったのが確認されたのである。

 

このような結果は、病気や障害、成長や回復によって脳機能のバランスが変わるとその性格パターンが変わることを示唆している。そのバランスの変化が長期にわたって続けば性格パターンの変化はやはり長期に渡って固定されるのであろう。このことから、前回考えたINFPとENFP間という内向的、外向的な側面だけで変化というのは起こるのではなく、INTPとINFP間という判断機能の面からも変化は起こり得るということが考えられるのである。そしておそらくは特定条件下では知覚機能の面からも変化は起こり得ることが推測される。

 

今回は病気や障害というネガティブな面からのアプローチになったが、ポジティブな面からも何らかの性格変化というのは起き得るかもしれない。実際、以前にINTPの知人が論理的思考力を身につけることでINTPとしての性格に成長したということを紹介したが、それは遺伝によって完全に決められていた道ではなく、環境に適応して心理機能を発達させた結果であったのかもしれない。そう考えると、人間の持つ可能性というのは未だ計り知れないところがあると考えさせられるのである。

INFPとENFPの狭間で 〜性格タイプは後天的に変化する、その可能性②〜

前回、私の性格タイプがINFPからENFPに変化したということに触れた。

今回はその変化について私の幼少期を見ていくことでもう少し深く掘り下げていきたい。

 

そもそも、私の性格タイプは人生の中で何度か変化している。生まれた直後がどうであったかは不明であるが、3、4歳で幼稚園に通い始めた頃にはすでにINFPとしての特徴を示していた。私は物心ついた頃から他人が何を考えているかが不安で、他人の顔色を伺って生きていた。それを思わせるエピソードの一つとして、私が5歳だった時に両親からクリスマスプレゼントを受け取った際の記憶がある。私は幼少時裕福な家庭で育ち、いわゆる高級住宅街に住んでいたのだが、両親からは常日頃「ウチは貧乏だから」と事あるごとに言い聞かされていた。それは両親の明確な教育方針であったのだろう。そのため、いつしか私は両親に何か物をねだるということをしなくなっていた。しかし、ある日クリスマスプレゼントとして1万5千円以上するレゴのセットを受け取ることになり、私は考えざるを得なかった。我が家は貧乏である、それなのに子供に高価なおもちゃを買い与えるとは何か無理をしたに違いない。そして、両親の顔色を伺うが、その顔には子供を祝う気持ち以外何も感じ取れない。ということは、私を心配させないように気を使っている、そう考えるのが自然である。両親に金銭的に無理をさせた上に、そのような気を使わせるとは誠に申し訳ない。それがその時私が考えた気持ちそのものである。そして、その後私は両親に隠れて実際に泣いてしまった。両親が気を使ってくれている以上、私が涙を見せて両親を心配させるわけにはいかなかった。子供というものは5歳でもそのように物を考えるという、今考えるとなかなか感慨深いものがある。

 

そんな他人の顔色を伺うことがすっかり板に付いた私であったが、地元の公立小学校に入学して一年も経つ頃になると両親の教育方針も理解する様になり、またその両親を含めて他人というものは私が思っていたほど私について関心が無く、深く考えていないという事実を理解せざるを得なかった。その理解は私の一方的な認識であったかもしれないが、周囲の人間から受ける精神的ストレスを蒸発させるのに成功して、私はすっかり明るくなった。その性格傾向はENFPのそれに酷似していた。なお、その後の知能テストなどの結果で両親には明らかにされたのだが、私のIQは高かった。その事実は私には後々まで伏せられていたが、例えば当時課されていた習い事の一つである公文式の算数の学習進度は周囲より明らかに早く、小学校入学当初から始めて二年で小学校で習う内容は修了していた。そのため、ENFPとなった私は一定の認識を持つ様になった。周囲の同年代の子供たちは自分より遅れてる様に感じるけど、みんなそれぞれ良いところがあってやればできる子だから優しくしてあげよう、みんなでゲームをやっている時も自分が状況を上手く整えてみんなが楽しめるようにするのが一番だ、などと考えていた。しかし、実際に周囲を操作するということは極めて難しく、私が自分というものを発揮すると、場合によっては周囲の子供達にはそれがストレスになるという認識もあって、次第に私は慎重に行動するようになっていった。それが周囲からみると大人しい子という様に映った様である。加えて、当時私は周囲の大人の考えていることを正確には把握できていなかったので、その慎重な傾向は周囲の大人に対して顕著になっていた。そんな私に当時ストレスがあったとしたら、それは学校の教師が私という存在をあまり理解していなかったという事実だろう。なぜ私が周りの子供達から頭が良いと言われてるのか分からない、というのはまだ知能テストを受ける以前にその教師が実際に私に言った言葉である。私は当時勉強というものにほとんど関心がなかった上に、その住んでいた住宅環境ゆえに周囲の子供達は8割以上中学受験の進学塾に通っていたため、私の学校の成績は平均以上をキープしていたが、特に目立つというわけではなかった。そのため、周囲の大人の私の扱いというものは彼らの認識に沿ったものになっていた。しかし、当時の私は基本的に幸福感に包まれていたということもあって、私自身の周囲に対する認識は私にとって大きなストレスではなかったが、周囲の大人が特に私が考えていることをあまり理解していないという印象を与えるには十分であった。もっとも、中には例外がいてそれは友人達の親御さんであった。高学歴で高所得に加えて社会的地位があるという3拍子揃った彼らは実に礼儀正しく、丁寧で優しく、理知的な印象で、その発言には私があえて表に出さない内心の考えや感情といったものに対する理解が感じられた。そういうこともあって、当時の私は周囲の子供達もいずれ成長してああなって行くのだろうと可能性を感じていた。しかし、その考えは私が地元の公立中学校に入学したことで完全に打ち砕かれた。

 

地元の小学校に一緒に通っていた子供達のほとんどは私立中学に入学して私の周りから姿を消した。そして、私が通った中学校には今まで接したことのないタイプの子供達が大量に流入することになった。その時の私の感覚は、人間として育てられた自分がいきなり動物園の檻の中に入れられた、というものであった。実際、学級崩壊などはさほど珍しくなかった。そして、肉体的にあまり強くなく見た目大人しかった私はいじめの格好のターゲットとなったのであった。当時の私の学校での成績は子供達の層が大きく変わったこともあって学年の最上位に近かったが、学校では例えばある種の蔑称で呼ばれて扱いを差別されるということがあり、実際に暴力を振われることも度々あった。そういった私に生じた問題に対して両親や教師、周りのいじめに加わっていない子供達など私の周囲の人間達は特別干渉することはなかった。その結果、自己認識と周囲からの扱いの差を当時の私は理不尽に思い段々と攻撃的な性格に変わるとともに、そんな環境に上手く適応できない自分に不甲斐なさを感じ自己肯定感が大きく低下した。そんな中で私が物事に直観を働かせることを止め、思考することを停止する様になったとしても、今となっては無理からぬことに思える。そして、周囲の子供達は理性的というよりは極めて動物的に行動していたので、私は思考力の代わりにその感情を読む能力を発達させていったのであった。そして、しばらくして私は人生において再びINFPとなった。

 

その後の私の人生は割愛するが、私はその後長い年月を経て今再びENFPとなった。つまり、私は生まれた直後の自分については知る由もないが、幼稚園入園以後INFP -> ENFP -> INFP -> ENFPと何度か性格タイプの変化を経験しているということである。その変化のきっかけになった原因は明らかで、環境から受けるストレスであった可能性が極めて高い。このことから私は環境から一定のストレスを受けるとINFPになり、そのストレスから解放されるとENFPになる傾向を持っていることが分かる。この傾向はどこから来るのかと考えると遺伝子の影響がまず可能性として浮かんでくる。日本におけるINFPとENFPの統計的割合は二つ合わせて8%くらいであろうか、大きくても10%程度であろう。しかし、私の父方の家系における両タイプの発現割合は50%を超える。そのことから両タイプに共通するNFPの資質は遺伝による影響が強く出る可能性が考えられ、IかEかは環境による影響が大きいのだろうと推測できるのである。

そしてINFPはENFPになった 〜性格タイプは後天的に変化する、その可能性〜

私は長いこと自分がINFPだと思って来たが、最近になって自分の性格変化の実感が著しい。

今回はそのことについて考えてみたい。

 

私の人生においてINFPの性格傾向に明確に当てはまる期間は20年以上続いていた。だが、日々の暮らしを続けていくうちにほんの僅かずつではあるが、ストレスに対する耐性の様なものがついてくるにつれ、INFPとしての性格特徴は薄くなって来ていた様な気はしている。そして、最近は自分が明らかにINFPではなく、ENFPに該当しているという実感がある。

 

最近の私の性格傾向を挙げてみると、まず対人関係やそれ以外のほとんどのことからストレスを感じなくなった。それに伴い内向的感情の使用頻度が減って、わずかに機能低下している印象がある。その逆に、以前よりも頭が冴え渡っていると感じていて外向的直観が働き、物事の関連性や本質についての理解が閃く頻度が大幅に上昇しているのが実感できる。そして、人間に対してストレスが大幅に減ったため以前よりも積極的に他人と話す様になり、また、実際に利他的な行動に移ることが増えた。以前は基本的に人付き合いを避ける方向で物事を判断する傾向が強かったが、今は以前よりも他人と積極的に関係を持とうという意思が芽生えている。そして、自分の中から理想というものがなりを潜めた。そのためか、理想と現実の差異から感じるストレスがなくなり、今まで感じていた不満や不安がなくなり、満足と幸福を感じる様になった。加えて、物事に関する興味が今までよりもより幅広いものへと広がっている。このような傾向の結果、根本的な価値判断の基準は以前とあまり変わっていないが、それ以外の認識と行動がガラリと変わったのを実感せざるを得ない。これでは最早INFPとは呼べない、ENFPと呼ぶべきだろう。

 

今まで私はMBTIにおける性格類型は遺伝的に決まっている可能性に重きを置いてきた。だが、こうなってみると遺伝的な形質というのはある程度あるのであろうが、具体的な性格タイプは環境への適応によって変化していく比重の方が高いかもしれないと考えるのが自然に思える。そもそも、全てを16タイプに固定して分類するのが問題があるかもしれず、あくまで8つの心理機能の組み合わせのその状態で人間の性格タイプは把握した方がより正確であるように感じられる。そして、心理機能は人間が年齢を重ねることで発達または退化するため、心理機能の順列が入れ替わることは十分にあり得るだろう。そして、心理機能が各性格類型と一致した時にその人間はその類型の特徴を表す様になるのだろうという推測が自然に思える。

 

こう考えると私がINFPのような性格からENFPへと変化を遂げたのは納得できる。しかし、この考えだと一つの疑問が湧く。それは日本人のMBTIの性格タイプの偏りである。日本人の性格タイプは世界のそれと比べて統計的に偏っているが、この偏りは島国の農耕社会の歴史により遺伝子に刷り込まれたものと考えていた。しかし、実際はそうではなく、性格タイプの偏りは現在の日本社会における教育や道徳、社会通念といった同調圧力によって生じている可能性が出てくるということだ。この様な推測が確かなものであるならば、これは現在の日本社会における大きな問題であると言え、同時に日本社会が変わることができるかもしれないという可能性を見出せる話と言えよう。また、変化の可能性は社会だけでなく個人にも認められ、人は自分の性格タイプが気に入らない場合は、自分のタイプを自ら変化させることができるのかもしれなかった。

 

MBTIの性格タイプが後天的に変化し得るというのは個人にとっても社会にとっても希望になり得る。今回はそんな話であった。

いじめの本質と解決方法

いじめというものが社会問題になって久しい。

いじめというものを解決して社会から消し去るにはいじめというものをなるべく正確に理解する必要がある。今回はその本質に迫ってみるとしよう。

 

そもそもいじめの本質とは何かということだが、それはある人間が他人を攻撃するという事実の一つの側面である。他人を攻撃する理由は快楽のためかストレス発散のどちらかであることが多く、いじめとは人間のストレス反応の一種と言えるだろう。つまり、人間はストレスを全く感じていなかったら他人をいじめることはないだろうということが言える。しかしながら、世の中にはいじめられる方にも原因があるとよく言われる。これはいじめられっ子が抱える何らかの要素がそれ自体いじめっ子のストレス原因になるということである。

 

これらの関係性を理解するにはよりミクロな視点で考えてみると分かりやすい。社会や集団は人間の群体であり、人間は細胞の群体である。ここではよりミクロな視点として細胞同士の働きを見てみよう。実は人間の体内では日々癌細胞が生まれている。それらの細胞は他の細胞により常に処理されている。その方法は癌細胞を排除するというハードなものと癌細胞を普通の細胞に戻すというソフトなものの2種類に分けられる。そもそも癌細胞とは何であろうか?全ての細胞にはそれぞれ果たすべき役割というものがあるが、癌細胞とは自らの役割を忘れた細胞のことだ。そういった癌細胞は放っておくと群体にとっての不健康につながり、最終的には群体の死を招くので、周りの細胞により速やかに処理されるということである。また、周囲の細胞自体に問題が生じて、他の正常な細胞を癌細胞として認識してしまうということもあるだろう。この場合にもその異常が生じた細胞が他の細胞を攻撃する。こういった関係性が細胞レベルにおけるいじめの本質である。つまり、集団という観点から見ると、ある人間が他の人間を癌細胞だと認識してそれを攻撃するのがいじめの本質である。いじめられっ子は人間として何らかの機能不全を起こして不健康な状態にあるか、そのように周囲から認識されているために攻撃の対象になるのである。そこにはいじめっ子に問題が生じた場合と、いじめられっ子に問題が生じた場合、それに両方に問題が生じた場合の3通りが考えられる。

 

いじめっ子に問題が生じた場合とはいじめっ子が抱える何らかのストレスにより環境の認識に問題が生じた場合を指す。いじめられっ子に問題が生じた場合とはいじめられっ子が抱える何らかのストレスによりいじめられっ子自体に問題が生じていてそれが周囲から認識された場合を指す。そして、細胞レベルでその役割を果たしていないと認識された細胞が他の細胞に処理されるのと同様に、人間レベルでもその社会的役割を果たしていないと認識された人間は周囲の人間によって処理されるということである。

 

このように考えていくといじめの解決方法が見えてくる。それは細胞レベルにおける処理方法から学ぶべきだろう。その方法とはいじめっ子の抱えるストレスを取り除き、いじめっ子の認識を問題が生じないように修正することであり、いじめられっ子の抱えるストレスを取り除き、そのいじめられっ子の認識をそのいじめられっ子に対する周囲の認識に問題が生じないように修正することである。そのためにははいじめっ子といじめられっ子の双方に働きかけることが必要になる。

 

そこで、いじめを解決するために行うべき働きかけとは、それはいじめっ子といじめられっ子のそれぞれの個人が本来持っている社会的役割を認識させることである。それは彼らが自分を知るということであり、社会を知るということでもある。つまり、人間というものを理解するということだ。それは、彼らが自らの社会的役割を自覚し、それを果たすことにつながる。それは自己実現を果たすことであり、それが達成されていればいじめを行う原因となるほどのストレスは社会に存在しえない。

 

なお、現在の日本の教育においては子供の本質的な素質、つまり社会的役割への理解が浅いのでいじめの原因はなかなか無くならない。そういった環境で育った現代の大人も人間の本質についての理解が浅いので社会全体でいじめというのはなかなか無くならない。逆に言えば、次世代の子供達の素質を理解して彼らの本領を発揮させることができれば、その次の世代からはいじめが減少するであろうことが予測できる。そして、どのような偏りや障害があったとしても才能を全く持たない子供は存在しない。そう考えると、社会からいじめをなくす、そのことは決して不可能ではないと考えられるのである。

 

追記)

人が犯罪を犯して社会がそれを裁くのもいじめの一種である。そう考えると、どうすれば犯罪がなくなるかを理解するのはそう難しいことではない。

 

優しい人間になる仕組み 〜SDGsの根底にある理念〜

私は最近暇を持て余している。私にとって現状の悩みや不満というのは暇であるがゆえに外部からの刺激が少ないという点に尽きるだろうか。そして、このように暇だと世の中の人々は実に大変そうだなと考えてしまう。実際に身の回りで他人に接すると、私は利他的に行動する傾向がある。それが他人には優しい人という風に映ることがあるらしい。こういう利他的な行動の究極的な形が最近流行となっているSDGsというものだろう。SDGsとは全人類を幸せにするというプロジェクトである。今日はこの傾向を考えてみたい。

 

世の中には利己的な人間と利他的な人間がいる(他人から優しい人と見られたいだけの人はここでは利己的な人間に含むとしておく)。この違いはどこから生まれるのであろうか?私が今まで出会ったあらゆる人間を観察して直観的に思うのは、利他的な人間というのは自己肯定感を持っていて、命の価値を実感していることが多いということだ。おそらくはこの命の価値を実感しているというのがキーワードなのだろう。そして、自分というものを利己的な人よりも広く捉えている傾向がある。そして、そのために他人という存在の価値も実感しているということである。

 

そこで、命の価値を実感するとはどういうものだろうかと考えてみる。それは脳が命の価値を理解している状態だと言える。理解には言葉による理解と、シナプスの電気信号の整理という言葉によらない理解に分けられる。言葉によらない理解を一般にインスピレーションとも言うかもしれない。例えば、赤ん坊は喜怒哀楽などの感情を持つかもしれないが、それを言葉によって理解してるわけではない。その時の赤ん坊の言葉によらない感情はインスピレーションの一種と言えるかもしれず、つまりインスピレーションとはそういうものだ。そして、命の価値を実感するとは命の価値をインスピレーションとして理解するものと考えられる。インスピレーションは脳に情報をインプットしてそれを整理することで生まれる。それには様々な情報をインプットする必要があるのだろう。命の価値を理解する上で必要な情報とは何かと考えてみると、そこには自分自身の価値というものが筆頭に上がりそうだ。自分の価値を理解して認められれば命の価値を認めるのもそう難しいことではないだろう。

 

さらに、利他的になるには自分という概念を広く捉える必要があるが、どういう理解が必要なのだろうか。一つヒントになるのは、そもそも生命とはどういうものであるかということだ。人間は生命体ではあるが、人間は60兆個(一説には37兆個)の細胞からできている。そして、あらゆる細胞は一定の処理を加えるとIPS細胞として人間に培養できる。つまり、原理的には一人の人間から60兆人の同じ遺伝子を持った人間を作れるということで、細胞一つ一つを生命と規定しても問題はなさそうであり、そこから人間は60兆の生命の集合体、群体であると言える。そして、その人間の群体が社会ということになる。そう考えると、細胞と人間と社会は似たような概念として捉えることができる。人間にとって他人というものは細胞にとっての他の細胞の様なものであり、他人や社会の健康を考えるのは自分の健康を考えるのと同じようなものと言える。利他的な人間に共通してるのはこのような認識であると考えられる。そして、命の価値をインスピレーションとして理解した人間が、同時に社会という群体の一部であるということをインスピレーションとして理解した時に人は自然に利他的になるのである。

 

さて、利他的である仕組みの本質にある程度触れたと思われるが、人間がそうなるためにはどうなればよいかも考えてみたい。それに必要なのはやはり自分の価値を認めることなのだろう。それを確実に達成する究極の方法に自己実現を達成するというものがある。自己実現を達成するとは理想と現実を一致させることであり、今の自分の現実が自分の理想であるという状態になるということだ。アプローチの仕方には現実を理想に近づける方法と理想を現実に近づける方法があるが、いずれの場合においても最短経路となるのは自分と他人という現実を直視して理解することであろう。現実というものを正確に理解していれば理想などというものは抱きようがなく、そこにあるのは理想ではなく実現可能なただの目標であるだろう。利他的であるのに必ずしも自己実現を達成する必要はないと思われるが、少なくとも自分自身に対する深い理解は必要になるだろう。そして、自分を知るということは他人を知るということであり、人間を知るということである。

 

長々と考えてきたがこれらを要約すると、人は自分というものを知った時に生命の価値を実感し、さらに社会という群体の一員としての自覚を持って利他的になる。それは他人に優しくなることであり、そういった人は実際に自分を大切にしていて、他人のことも大切に思っていることが多いのである。そして、SDGsの根底にはこの様な利他的な理念が存在している。人間は幸せになると利他的になり、他の人間も幸せにしようとする。これが社会全体に伝播していって全人類が幸せになったその時がSDGsの達成の時なのだろう。その時、社会がどうなっているのか見てみたい気がするが、私自身が生きている間にはそれを見れないだろうことが残念である。

死刑制度に見る命の価値と幸福度

近年世界的に死刑廃止国が増えていて、とうとう死刑存置国を圧倒的に上回る状況となった。

そういうニュースを耳にして思うところがあったのでここに記す。

 

死刑制度の有無で世界を区分してみると、本質的な区別がどこで生じているか見えてくる。

そこに見られるのは命の価値に対する感覚の相違だと私は考える。

死刑廃止論は、人の命というものは極めて大切なものであり何ものをもってしても購えるものではない、つまり人を殺すということは人間にとって最大の悪徳であるという考えに立脚している。

そこにおいては被害者の命の価値と尊厳があるのと同時にその加害者(殺人の加害者を含む)にも同等の命の価値と尊厳があるという考えだ。

だから、人を殺すことが絶対的に許されないことであるならば、死刑として殺人犯を殺すことも絶対に許されない、という事になる。

 

それに対して死刑容認論は基本的に殺人犯の命に価値を認めていない。

結果、優先されるべきは被害者家族の感情であったり、社会への抑止効果であったりするわけだ。

 

このような意見の相違は人の持っている生命に対する根本的な価値観の相違に根ざしている。

死刑廃止国の国民には、人は生まれながらにかけがえのない価値と尊厳を持っていて、それはいかなる状況(例えば人を殺してしまったとしても)においても失われるものではない、と考えている人が多いのだ。

死刑容認国の国民は、死刑廃止国の国民ほどは生命の価値を信じていない、ということである。

 

OECD加盟国中唯一の死刑容認国である日本を見てみると、なぜ日本人が生命を軽視するかが見えてくる。その一因として考えられるのは、日本人全般に見られる幸福度の低さだろう。

人生の意味や生命の価値といったものを実感するには、その人が幸福であるということがある程度必要な条件になる。

人は真に幸せである時、自然と命というものの素晴らしさを心の底から実感できる。

そして、自分の命も他人の命も等価値なのだということを理解するのもそう難しいことではない。

逆に、幸福感を感じたことのない人は命の価値というものを実感できない。

そう考えると、OECD加盟国中幸福度が最低レベルである日本の国民がOECD加盟国中一番死刑に賛成するというのは理解できる。

INFPとISTPの芸術性の理解とその相違

今日、INFPである私がISTPと思しき知人と一緒にあるNHKの番組を見る機会があった。その番組は正倉院法隆寺などに納められている聖徳太子関連の仏宝を取り上げているものであったが、そういった仏像などに対する私達二人の感性や理解について色々と思うところがあったのでここに記す。

 

まず、私は聖徳太子が作らせたと思われる飛鳥時代の仏像などを見るに、その作品に込められた精神性、つまり製作者の意図を読み取った。

具体的な製作者としては造仏師がいたであろうが、その制作を監督したのは聖徳太子であろうからここで感じたのは聖徳太子の精神性ということになろう。

そのあり方は仏教の教えそのものだと感じた。

私が思うに、聖徳太子は若いうちに戦乱を経験し、かつ、和をもって尊しとするなどと憲法に書いてしまえるような人間であったわけだが、同時に若くして仏教の経典に触れてその本質を十分に理解していて、おそらくは聖徳太子自身は仏教によって救われている。

そして、彼は時の為政者の一人として、自分が救われたように、人々を救いたいと思ったのだろう。

だが、当時の民衆というのは基本的に文字が読めない。そのような教育をするシステムも無い。

そんな民衆を直接的に救済する、つまり民衆に仏教を理解させるのに仏像の作成や寺院の建立という手段を取ったと。

そういうことから制作される仏像は、それを見た人間が仏教の教えの本質を理解できるものでなくてはならず、その表現もその目的に沿ったものになる。

そのため、飛鳥時代の仏像は、例えば鎌倉時代の仏像などと比較してより仏教の本質に近いものを表現しているように、少なくとも私には見える。

それに対して、鎌倉時代の仏像はより造仏師の個人的な精神が反映されているようにも感じる。

 

INFPの私はそのNHKの番組を見て、その仏像を見た瞬間に上記のような感想を抱くのだが、ISTPの知人の感想はかなり違うようなのだ。

ISTPの知人、彼女は仏像やその他多くの芸術品をその意味ではなく、美しさで捉えている。

そこに込められた精神性より具体的な表現技法の方に関心を寄せているのである。

ISTPの彼女にとっては、世界は我々INFPよりもハッキリとした写実的な感覚として捉えられているのだろう。

それに対して我々INFPにとっては世界はもっと抽象的なもので、その本質にこそ興味があるのである。

その両者の違いは芸術品と接した時に特に強く現れる。

 

その後、私は少し気になったので、彼女にレオナルド・ダヴィンチ作のモナリザについて、あれはどういう作品だと思うか?ということを質問してみた。

私としては、私と彼女の作品理解に相違があるかどうか試すつもりであった。

私から見てモナリザとは、レオナルドの理想の追求であり、自己の投影だと思っていた。

彼が死の間際に至るまで、生涯モナリザを持ち続けて、作品に筆を入れ続けたというのはそういうことなのだろうと。

彼が死ぬまでに確立したその精神性と論理性が技術的なものも含めてモナリザという作品に集約されていると私には感じられる。

私にとって芸術とは、オリジナリティの発揮とその表現である。

だからモナリザに限らず、作品を見る時に私はまずその作者の精神性に見られるオリジナリティに目が行き、具体的な表現はその後で評価する傾向にある。

そういった私の感性に対して、ISTPの彼女はまず作品を見たときにその精緻さに目が行き、そしてその次に込められているものの凄さを感じるという。

話を聞く限り、彼女にとって作品に込められた想いや作者の意図は二の次であり、まずその感覚によって把握されるものに重きが置かれているように考えられる。

さらに、私はピカソ(その作風は時代を追って変化を続けていくが)の各作品についての彼女の雑感を聞いてみたが、私と彼女の作品の捉え方の違いは概ね上記のような相違点を示していた。

 

さて、長く書いてみたが、INFPとISTPとの間だけでなくあらゆる人間の間には理解の相違が存在するが、そのお互いの相違を理解するよう努めることが芸術というものに接する上で、また、生きていく上で重要ではないかとISTPの知人を見てそう思った、ということである。