戯言日記

日常についての備忘録

INFPとENFPの狭間で 〜性格タイプは後天的に変化する、その可能性②〜

前回、私の性格タイプがINFPからENFPに変化したということに触れた。

今回はその変化について私の幼少期を見ていくことでもう少し深く掘り下げていきたい。

 

そもそも、私の性格タイプは人生の中で何度か変化している。生まれた直後がどうであったかは不明であるが、3、4歳で幼稚園に通い始めた頃にはすでにINFPとしての特徴を示していた。私は物心ついた頃から他人が何を考えているかが不安で、他人の顔色を伺って生きていた。それを思わせるエピソードの一つとして、私が5歳だった時に両親からクリスマスプレゼントを受け取った際の記憶がある。私は幼少時裕福な家庭で育ち、いわゆる高級住宅街に住んでいたのだが、両親からは常日頃「ウチは貧乏だから」と事あるごとに言い聞かされていた。それは両親の明確な教育方針であったのだろう。そのため、いつしか私は両親に何か物をねだるということをしなくなっていた。しかし、ある日クリスマスプレゼントとして1万5千円以上するレゴのセットを受け取ることになり、私は考えざるを得なかった。我が家は貧乏である、それなのに子供に高価なおもちゃを買い与えるとは何か無理をしたに違いない。そして、両親の顔色を伺うが、その顔には子供を祝う気持ち以外何も感じ取れない。ということは、私を心配させないように気を使っている、そう考えるのが自然である。両親に金銭的に無理をさせた上に、そのような気を使わせるとは誠に申し訳ない。それがその時私が考えた気持ちそのものである。そして、その後私は両親に隠れて実際に泣いてしまった。両親が気を使ってくれている以上、私が涙を見せて両親を心配させるわけにはいかなかった。子供というものは5歳でもそのように物を考えるという、今考えるとなかなか感慨深いものがある。

 

そんな他人の顔色を伺うことがすっかり板に付いた私であったが、地元の公立小学校に入学して一年も経つ頃になると両親の教育方針も理解する様になり、またその両親を含めて他人というものは私が思っていたほど私について関心が無く、深く考えていないという事実を理解せざるを得なかった。その理解は私の一方的な認識であったかもしれないが、周囲の人間から受ける精神的ストレスを蒸発させるのに成功して、私はすっかり明るくなった。その性格傾向はENFPのそれに酷似していた。なお、その後の知能テストなどの結果で両親には明らかにされたのだが、私のIQは高かった。その事実は私には後々まで伏せられていたが、例えば当時課されていた習い事の一つである公文式の算数の学習進度は周囲より明らかに早く、小学校入学当初から始めて二年で小学校で習う内容は修了していた。そのため、ENFPとなった私は一定の認識を持つ様になった。周囲の同年代の子供たちは自分より遅れてる様に感じるけど、みんなそれぞれ良いところがあってやればできる子だから優しくしてあげよう、みんなでゲームをやっている時も自分が状況を上手く整えてみんなが楽しめるようにするのが一番だ、などと考えていた。しかし、実際に周囲を操作するということは極めて難しく、私が自分というものを発揮すると、場合によっては周囲の子供達にはそれがストレスになるという認識もあって、次第に私は慎重に行動するようになっていった。それが周囲からみると大人しい子という様に映った様である。加えて、当時私は周囲の大人の考えていることを正確には把握できていなかったので、その慎重な傾向は周囲の大人に対して顕著になっていた。そんな私に当時ストレスがあったとしたら、それは学校の教師が私という存在をあまり理解していなかったという事実だろう。なぜ私が周りの子供達から頭が良いと言われてるのか分からない、というのはまだ知能テストを受ける以前にその教師が実際に私に言った言葉である。私は当時勉強というものにほとんど関心がなかった上に、その住んでいた住宅環境ゆえに周囲の子供達は8割以上中学受験の進学塾に通っていたため、私の学校の成績は平均以上をキープしていたが、特に目立つというわけではなかった。そのため、周囲の大人の私の扱いというものは彼らの認識に沿ったものになっていた。しかし、当時の私は基本的に幸福感に包まれていたということもあって、私自身の周囲に対する認識は私にとって大きなストレスではなかったが、周囲の大人が特に私が考えていることをあまり理解していないという印象を与えるには十分であった。もっとも、中には例外がいてそれは友人達の親御さんであった。高学歴で高所得に加えて社会的地位があるという3拍子揃った彼らは実に礼儀正しく、丁寧で優しく、理知的な印象で、その発言には私があえて表に出さない内心の考えや感情といったものに対する理解が感じられた。そういうこともあって、当時の私は周囲の子供達もいずれ成長してああなって行くのだろうと可能性を感じていた。しかし、その考えは私が地元の公立中学校に入学したことで完全に打ち砕かれた。

 

地元の小学校に一緒に通っていた子供達のほとんどは私立中学に入学して私の周りから姿を消した。そして、私が通った中学校には今まで接したことのないタイプの子供達が大量に流入することになった。その時の私の感覚は、人間として育てられた自分がいきなり動物園の檻の中に入れられた、というものであった。実際、学級崩壊などはさほど珍しくなかった。そして、肉体的にあまり強くなく見た目大人しかった私はいじめの格好のターゲットとなったのであった。当時の私の学校での成績は子供達の層が大きく変わったこともあって学年の最上位に近かったが、学校では例えばある種の蔑称で呼ばれて扱いを差別されるということがあり、実際に暴力を振われることも度々あった。そういった私に生じた問題に対して両親や教師、周りのいじめに加わっていない子供達など私の周囲の人間達は特別干渉することはなかった。その結果、自己認識と周囲からの扱いの差を当時の私は理不尽に思い段々と攻撃的な性格に変わるとともに、そんな環境に上手く適応できない自分に不甲斐なさを感じ自己肯定感が大きく低下した。そんな中で私が物事に直観を働かせることを止め、思考することを停止する様になったとしても、今となっては無理からぬことに思える。そして、周囲の子供達は理性的というよりは極めて動物的に行動していたので、私は思考力の代わりにその感情を読む能力を発達させていったのであった。そして、しばらくして私は人生において再びINFPとなった。

 

その後の私の人生は割愛するが、私はその後長い年月を経て今再びENFPとなった。つまり、私は生まれた直後の自分については知る由もないが、幼稚園入園以後INFP -> ENFP -> INFP -> ENFPと何度か性格タイプの変化を経験しているということである。その変化のきっかけになった原因は明らかで、環境から受けるストレスであった可能性が極めて高い。このことから私は環境から一定のストレスを受けるとINFPになり、そのストレスから解放されるとENFPになる傾向を持っていることが分かる。この傾向はどこから来るのかと考えると遺伝子の影響がまず可能性として浮かんでくる。日本におけるINFPとENFPの統計的割合は二つ合わせて8%くらいであろうか、大きくても10%程度であろう。しかし、私の父方の家系における両タイプの発現割合は50%を超える。そのことから両タイプに共通するNFPの資質は遺伝による影響が強く出る可能性が考えられ、IかEかは環境による影響が大きいのだろうと推測できるのである。